観光スポット:藤原右門太郎の碑
元禄の昔から、紀州と泉州で境界争いが絶えなかった。延享3年(1746)8月、葛畑(つずらばた)の庄屋・藤原右門太郎は、紀州側との交渉で、境界を譲らなかったので竹槍で突き殺された。「たとえ死んでも、この土地・この山は紀州に譲らない」と叫んで主張を貫き通したと言う。
二百年後の大正時代に発生した境界問題の解決にも、この意見が用いられた。墓碑は昭和13年(1938)に信達郷共有林野組合が建てた。
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