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観光スポット:山の井遺跡公園



山の井遺跡の碑は樽井と男里の2ヶ所にあり、どちらも五瀬命(いつせのみこと)の傷洗いの清水・湧水があったところとされている。

 日本書紀によると、建国の祖と伝えられる神武天皇が、即位前3年に大和平定の兵を進め、生駒の孔舎衙(くさか)で長髄彦(ながすねひこ)の軍と戦ったとき五瀬命が流れ矢に当たり矢傷を負った。
 船で大阪湾を南下する途中、海水で血を洗ったので、この海を「血沼の海(ちぬのうみ)」と呼ぶようになり、現在も「茅渟の海」の呼称が残る。
 傷の治療をするために、波静かな入り江(現在の天神の森)に上陸し、村人の協力で泉湧く水で傷の手当てをしたという。
 五瀬命は「敵に復讐できずに手傷を負って死ぬのは残念極まりない」と雄々しく叫んだので、この付近は雄水門(おのみなと)と名づけられた。

 古代の樽井は海に突き出た段丘状の岬で、木や葦が生え茂り、聳え立つ城のような景観だったことから山城と呼ばれ、また、段丘から泉が湧き出たので山の井と呼ばれたと言う。

 雄水門は、のちに砂が堆積して陸地となり、現在の男里、雄信達の地名が生まれた。山の井遺跡公園は、平成22年3月6日に開園記念式典が開かれた。山郷樽井地区協議会が隣接地を購入し造成したもので、式典後、この公園は樽井区へ寄贈された。
 地下水はポンプで汲み上げることができ、その水が流れて、やがて石の間から湧き出るような演出が施してある。

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