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観光スポット:山之井遺跡

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山之井遺跡の碑は男里にあり、山の井遺跡の碑は樽井にある。2ヶ所に造られていて、どちらも五瀬命(いつせのみこと)の傷洗いの湧水があったところと伝わっている。

 日本書紀によると、建国の祖と伝えられる神武天皇が、即位前3年に大和平定の兵を進め、生駒の孔舎衙(くさか)で長髄彦(ながすねひこ)の軍と戦った。このとき五瀬命が不覚にも流れ矢に当たり矢傷を負ったのだった。船で大阪湾を南下する途中、海水で血を洗ったので、この海を「血沼の海(ちぬのうみ)」後に「茅渟の海」と呼ぶようになった。一行は波静かな入り江に上陸して、村人が協力して湧水で傷の手当てをした。五瀬命は「敵に報復せずに手傷を負って死ぬのは残念極まりない」と雄々しく叫んだので、雄水門(おのみなと)と名づけられた。

 古代の樽井は海に突き出た段丘状の岬で、木や葦が生え茂り、聳え立つ城のような景観から山城と呼ばれ、また、段丘から泉が湧き出たので山の井と呼ばれたと言う。雄水門は、後に砂が堆積して陸地となり、現在の男里、雄信達の地名が生まれた。

この石碑は、りんくう道(63号線)の造成にあたり、南海電鉄付近から現在地に移設された。

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