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観光スポット:里外神社


垂仁天皇のころイニシキノミコトが信達の地(菟砥川上)に倭文部(しとりべ;機織工)を置いて、機織業を育成した。
 応神天皇の頃、積極外交で大陸の人が帰化し、大陸の機織技術と知識が入り古代工業の発展に寄与した。これが泉州機織の始まりかも知れない。こうして、この地に呉服(くれは)大明神を産土神(うぶすながみ)として社殿が創営されたのであろう。
 中古になって、呉服大明神の西800mにある老松の根元から毎夜霊光が発生し、神社の境内に飛んでいたという。村人が松の根元を掘ったところ、霊剣を発見し神社に奉献した。神社は霊剣を神体としスサノオノミコトを祭神として里外神社と改めたと伝わる。この場所が岡田の里の域外だったので里外と称したという。
 建仁元年(1201)10月、後鳥羽院が紀州熊野大権現に行幸したとき里外神社境内の淵に住む岡田カレイのことを聞き、神社を訪問したので献上した。これを無上の光栄として、上皇は29回も熊野詣をしているが行幸の折は、自ら名づけた王餘魚淵(カレイガフチ)で飼育したカレイを献上してもらうのが通例になったという。

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