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観光スポット:お菊松/お菊山

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お菊の父は豊臣秀次で、母は淡輪一族の小督の局である。
秀次は、淀殿の陰謀にはまり、義理の父・秀吉によって高野山に蟄居そして自害させられた。お菊の母・小督の局は、他の側室らと同様、京都三条河原で打ち首となった。

 生まれて間もないお菊は、泉州波有手の里に預けられ、育てられた。戦国の世が終わろうとする頃、紀州山口村に嫁入りしたお菊は、祝言もそこそこに豊臣方の密使となり、大坂城に向った。

 その途中の山の中で、パノラマ状に見える泉州の街並みを見下ろし、茅渟の海を眺めていた。生まれ育った郷も見えた。
 ここで思案したお菊は、旅の危険を避けるために、髪を切り落として男装した。その髪を松の根元に埋めたと伝わる。後世に、その松をお菊松、その山をお菊山と呼ぶようになり、今では格好の散策コースとして賑わっている。
 標高332mの広場に写真に示した顕彰碑がある。なお、三角点はここではなく、少し離れた標高355mのところにある。

* 散策コースは、ここにあります

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