役の行者によって白鳳10年(682)に建てられた、和泉における山岳仏教の拠点のひとつである。金峯・熊野の両霊神を勧請したので『金熊寺』と名付けられた。正安元年(1299)に焼失し再建されたが、秀吉の根来征伐で再び焼失した。 承応2年(1653)に信達荘13ケ村の人々により再興されたのが現在の建物である。敷地面積1500坪。 約270年前から梅が栽培され、現在では樹齢20〜30年のものがほとんどだが、老木も混じり2千本におよぶ梅林が広がる。 梅の一大名所だったが、戦時中に食糧増産のために一部切り払われたと言う。 明治時代の神仏分離令までは信達神社と一体であったので、その当時は信達神社の神主や土地の人々によって栽培されていた。『大阪みどりの百選』に選ばれている。 |