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観光スポット:海会寺趾



 6世紀の推古天皇の代に、聖徳太子が七堂伽藍を建てたと、一岡神社社伝にある。それが海会寺跡で、大阪府下でも有数の白鳳時代の寺院跡であり、法隆寺式伽藍配置であると注目を浴びている。当時の政治の中枢部と密接な関係があったと考えられる。

 昭和58〜61年(1983〜86)にかけて 配置と寺域を明らかにするための発掘調査が行われ、塔・金堂・講堂・回廊・南門等の寺院遺構が確認された。また東の平地部分には集落跡が確認された。

 海会寺跡は、昭和62年(1987)に「国史跡」に、出土遺物302点は平成7年(1995)に「国重要文化財」に指定されている。詳細は道路を隔てた古代史博物館で知ることができる。

 海会寺は焼失・再建を繰り返されたのであろうか、信長の紀州攻めのときにも天正5年(1577)に焼失したという。海営宮池の中島にあった観音堂が焼け残り、それを安置した近くの長慶寺に引き継がれている。


海会寺跡へのアクセスは、ここをクリックして地図をご覧ください。


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