『大阪府全志』によれば、「信達王子社の址、部落の南口なる国道、即ち紀州街道の側にありて、東西二間半、広さ六坪余の所」という。 藤原定家の『熊野御幸記』では、建仁元年(1201)10月8日『天晴れる 払暁道に出でて 信達の王子に参ず また坂の中において祓う』とあり、峠の神に手向けした様子が描かれている。 しかし、ここを「一ノ瀬王子」と特定することに疑問を持つ人もいる。 地元民にとって馬頭観音や地蔵菩薩を祀っていたので、馬頭さんとして親しまれていたところである。馬と歩く道中の安全を願い、力尽きた馬の冥福を祈る、また馬の無病息災を祈るという民間信仰である。石の馬頭観音が残っている。 なお、狛犬や燈篭は信達神社の大鳥居を移動させたときにここに持ってきたものである。 元禄14年(1701)に山道を開削して切り通し、紀州徳川家の参勤交代の道となった。従って熊野街道であると共に紀州街道でもある。 昭和15年(1940)にも道路整備されているが、現在の幅員になったのは昭和60年(1985)のことである。 三叉路に道標があり、『左あたご』と見える.愛宕山には愛宕権現社がある。 |