江戸時代の参勤交代の折に、大名・公家・幕府役人・藩主などの宿泊所となったところを本陣と呼ぶ。 角谷家前を通っている熊野街道は、参勤交代の道として整備され、元禄14年(1701)以降、紀州徳川家が通る紀州街道となった。 信達宿では一泊するのが慣わしで、信達駅本陣は角谷与右衛門が本陣を務めたことで知られる。今も角谷本陣跡として現存する。普段は屋敷内非公開だが、催し物にあわせて公開することがあり屋敷や所蔵物を見学できる。 行列の一行は1000人を超えたので、参勤交代に際して人馬の提供や道路整備など準備に多大な労働負担があり、周辺の村をあげての作業が必要だった。これを助郷と呼んだ。 信達宿は、現在の大苗代・市場・牧野に渡る2.5kmの街道筋にある。主屋建物の妻を向けた『妻入り』住宅と、低棟建物を接続して、『高い三角屋根と低い平屋根」が独特のリズムを持って群れをなしている。 詳細な情報は角谷さんのホームページをご覧ください。 |