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観光スポット:塙団右衛門の墓

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 大坂冬の陣で豊臣方に味方し大坂城に入った豪放な武将で、翌年の大坂夏の陣にのぞみ、先陣として泉州に進軍した。
 樫井の合戦に際し、功名を勝ち取るために先陣を争い、少人数で飛び出したので、あえなく浅野軍に討ち取られたと伝わる。慶長20年(1615)4月29日のことであり、大坂方二万の兵に対し、徳川方の浅野長晟の兵五千という大坂方にとって有利な戦いだったはずが、組織の乱れで敗北している。
 この先陣の失態により、大坂夏の陣は豊臣方の敗北となり、大坂方の士気が落ち、5月7日に大坂城は落城し豊臣は滅亡した。
 この五輪の墓は、寛永8年(1631)に紀州の士・小笠原作右衛門が造立したという。徳川の世にも街道沿いに静かに立っていた。


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